設計事務所 powerarchitects のブログ.
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ひと月以上経過してしまいましたが、今年4月29日の204建築で行った、茶室づくりワークショップの様子をご紹介します。
10時に世田谷ものづくり学校204建築教室に集合、今回の進行の説明やスタッフの紹介

世田谷公園に移動し、土台づくり1班と、パーツづくりの数班に別れて作業開始!
柳の枝を結束帯でつなげて・・・

パーツができたら立体的に組み立て。
構造になるパーツのアーチができたら、もっと密にしたい場所に自由に柳枝をどんどん編み込んでいきます。
子供達は結ぶのが大好き。

設計図なしで、ちゃんと茶室、控え室、茶道口、にじり口もできたんですよ。お昼ご飯休憩を挟んで茶会のはじまりです。

そんなに枝が密なわけでも、面があるわけでもないのに、中に入ると開放的かつ包まれるような落ち着く空間ができているから不思議です。自分たちでつくった場所でのお茶会にみんな大満足。

今回は柳の枝が少々とがっていることもあり、解体はスタッフと中学生以上の希望者がしました。
短時間で解体されていく様子は、寂しくもあり、だからこその楽しかった体験を思いだし、まさに一期一会。

参加してくださった皆様、どうもありがとうございました。来年も4月29日にやりますよ!

miho
10時に世田谷ものづくり学校204建築教室に集合、今回の進行の説明やスタッフの紹介
世田谷公園に移動し、土台づくり1班と、パーツづくりの数班に別れて作業開始!
柳の枝を結束帯でつなげて・・・
パーツができたら立体的に組み立て。
構造になるパーツのアーチができたら、もっと密にしたい場所に自由に柳枝をどんどん編み込んでいきます。
子供達は結ぶのが大好き。
設計図なしで、ちゃんと茶室、控え室、茶道口、にじり口もできたんですよ。お昼ご飯休憩を挟んで茶会のはじまりです。
そんなに枝が密なわけでも、面があるわけでもないのに、中に入ると開放的かつ包まれるような落ち着く空間ができているから不思議です。自分たちでつくった場所でのお茶会にみんな大満足。
今回は柳の枝が少々とがっていることもあり、解体はスタッフと中学生以上の希望者がしました。
短時間で解体されていく様子は、寂しくもあり、だからこその楽しかった体験を思いだし、まさに一期一会。
参加してくださった皆様、どうもありがとうございました。来年も4月29日にやりますよ!
miho
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青山スパイラルで開催中の「ティンバライズ展」にて.
昭和女子大学の田村圭介さん、シルビア・ルリさんと共同で、新しい木造による可変可能な空間と、フォースクエアのような位置ゲーによるAR空間を重ね合わせ、裏原宿穏田エリアを対象した架空のプロジェクト「モクモク穏田」を展示しています.
小断面の部材を高分子系接着剤で接着することでAR空間の人気度に応じて可変な構造体を考えました.かつて裏だった裏原宿が疑似表化し、裏の裏だった穏田商店街が人気のある裏原宿になってきています.裏と表が逆転・更新できるような街が考えられないだろうか.
「あちら側」のクラウド空間とこちら側の木造空間が寄生し合いつつ更新していく提案です.
まるで極相状態に至った林のような、山の上に留まる笠雲のような感じ.
横のモニタでは、柱の生成モデルをライノセラス上のプラグイン、GRASSHOPPERにて検証した3分ほどの動画を流しています.柱の長さ、コントロールポイント、スラブの位置、荷重条件、ヤング係数などによって柱径を割り出し、増減築に応じて住人自らが構造的に必要な部分に部材を接着・補強したり、また撤去できるようになっています.
5月30日(日)までですので是非足をお運びいただき、ご覧いただければと思います.
zmk
zmk
先日(4/9)オンデザイン西田さんの近作、「ヨコハマアパートメント」を訪問しました.
西田さん自らにご案内いただき、大変貴重な体験をさせていただきました.以下はそのときの感想です.
アパの広場を体験して、「アゴラ」という語を思い浮かべた.
そういえば見慣れないプロポーションのファサードは、1階の広場と2階の居住空間の対比がまるでギリシャオーダーと破風のようなバランスではないか.おまけに基壇まである.柱は縦縞ではなく横縞なことはさておくとしても、いよいよこれはアゴラなのだという感を強くする.そして演劇的な階段を下りてくる西田さんはギリシャのコスチュームがとても似合いそうだ.
アパはその建築的構成から、個のあり方や運営のソフト面まで、民主的なニュートラルさを体現している.接道側が正面ですといえばそうだけれど、立面構成は四面一緒.くさび形にヒエラルキーはなく、2階平面もクールに田の字に分割.この形式が素晴らしい.よくあるアパートの、片廊下で南面した住戸群はセルの一つ一つに多様な生活が営まれていたとしても、監視者がいなければ住人は独房に閉じこもってしまう.対してアパの広場は、不在の監視所たる広場を充足し、自ら監視する目となるために進んで独房から降りてくるような、そんな仕掛け.なんとなく、人は広場が空っぽだと不安になるのである.そしてそこで何をするかは自由なんだけど、なにかをしなくてはならないし、なにをするかは等価な主体の4人によって牽制しあい、話し合う.形式の民主化・政治化によって巧妙に権力を排除し、自由意思によって善きアゴラがもたらされる、その可能性を見た.
zmk

西田さん自らにご案内いただき、大変貴重な体験をさせていただきました.以下はそのときの感想です.
アパの広場を体験して、「アゴラ」という語を思い浮かべた.
そういえば見慣れないプロポーションのファサードは、1階の広場と2階の居住空間の対比がまるでギリシャオーダーと破風のようなバランスではないか.おまけに基壇まである.柱は縦縞ではなく横縞なことはさておくとしても、いよいよこれはアゴラなのだという感を強くする.そして演劇的な階段を下りてくる西田さんはギリシャのコスチュームがとても似合いそうだ.
アパはその建築的構成から、個のあり方や運営のソフト面まで、民主的なニュートラルさを体現している.接道側が正面ですといえばそうだけれど、立面構成は四面一緒.くさび形にヒエラルキーはなく、2階平面もクールに田の字に分割.この形式が素晴らしい.よくあるアパートの、片廊下で南面した住戸群はセルの一つ一つに多様な生活が営まれていたとしても、監視者がいなければ住人は独房に閉じこもってしまう.対してアパの広場は、不在の監視所たる広場を充足し、自ら監視する目となるために進んで独房から降りてくるような、そんな仕掛け.なんとなく、人は広場が空っぽだと不安になるのである.そしてそこで何をするかは自由なんだけど、なにかをしなくてはならないし、なにをするかは等価な主体の4人によって牽制しあい、話し合う.形式の民主化・政治化によって巧妙に権力を排除し、自由意思によって善きアゴラがもたらされる、その可能性を見た.
zmk
母の命日が近かったので、多磨霊園にお参りに行くことにした。
多磨霊園には吉坂隆正さんの墓もあると、同級生の倉方俊輔君の本、東京建築ガイドマップに書いてあり、公園のようだと記してあるので、そこにも行ってみようと、前もって場所を調べることにした。
著名人の墓所がリストアップされているサイトがあって、つらつら他の人の名前も見ていたら、泉君の曾祖父の南原繁さんや、岡本太郎さんの名前もあった。
その日は爽やかで気持ちのいい日だった。入り口近くの古い趣きのある木造平屋建ての花屋は、いわゆる仏花ではない品揃えがとてもよかった。白いフリージアを買って、母と南原さんのお参りをしてから、吉坂隆正さんの墓に行ってみた。多磨霊園はたくさんの木が植わっていて、道も広く明るくてお墓という暗いイメージがなく気持ちがよい。

何人か座れるベンチがあった。納骨室もひとつのベンチに座っているかのようだ。一緒にお話しましょうという感じだろうと思う。


墓壁には、フランス語の詩があった。下のところにはモザイクタイルで花の画がかいてあった。
Le soleil a rendez-vous avec la lune
La lune est là
La lune est là
mais le soleil ne la voit pas
Pour la trouver il faut la nuit
となんとか読めた。
太陽は月と待ち合わせをした。
月はそこにいる
月はそこにいる
けれど、太陽は月が見えない
月を見るには夜でないと
という意味。(訳、私)
月は故人、太陽は生きている人を意味しているのだろうか。
家に帰って調べると、
Charles TrenetのLe Soleil et La Lune という楽しい歌の歌詞だとわかった。
建築の発想 吉坂隆正7の、154ページには寸法つきの平面図と断面図もあった。寸法はすべてモデュロールによる。詩はタゴールのものとあるがちょっと疑問。吉坂は50年から52年にコルビュジェのところに留学していて、この墓を設計したのが59年。39年に作詞作曲されたトレネのこの有名な曲を聴いて、その詩をお墓にお茶目な感覚で書くことにした気がする。故人との会えないのは寂しいけれど楽しい談話を想像する。
岡本太郎さんの墓は彫刻などあって見てみたいが遠いのであきらめて帰ることにした。

河津桜が満開だった。
miho
多磨霊園には吉坂隆正さんの墓もあると、同級生の倉方俊輔君の本、東京建築ガイドマップに書いてあり、公園のようだと記してあるので、そこにも行ってみようと、前もって場所を調べることにした。
著名人の墓所がリストアップされているサイトがあって、つらつら他の人の名前も見ていたら、泉君の曾祖父の南原繁さんや、岡本太郎さんの名前もあった。
その日は爽やかで気持ちのいい日だった。入り口近くの古い趣きのある木造平屋建ての花屋は、いわゆる仏花ではない品揃えがとてもよかった。白いフリージアを買って、母と南原さんのお参りをしてから、吉坂隆正さんの墓に行ってみた。多磨霊園はたくさんの木が植わっていて、道も広く明るくてお墓という暗いイメージがなく気持ちがよい。
何人か座れるベンチがあった。納骨室もひとつのベンチに座っているかのようだ。一緒にお話しましょうという感じだろうと思う。
墓壁には、フランス語の詩があった。下のところにはモザイクタイルで花の画がかいてあった。
Le soleil a rendez-vous avec la lune
La lune est là
La lune est là
mais le soleil ne la voit pas
Pour la trouver il faut la nuit
となんとか読めた。
太陽は月と待ち合わせをした。
月はそこにいる
月はそこにいる
けれど、太陽は月が見えない
月を見るには夜でないと
という意味。(訳、私)
月は故人、太陽は生きている人を意味しているのだろうか。
家に帰って調べると、
Charles TrenetのLe Soleil et La Lune という楽しい歌の歌詞だとわかった。
建築の発想 吉坂隆正7の、154ページには寸法つきの平面図と断面図もあった。寸法はすべてモデュロールによる。詩はタゴールのものとあるがちょっと疑問。吉坂は50年から52年にコルビュジェのところに留学していて、この墓を設計したのが59年。39年に作詞作曲されたトレネのこの有名な曲を聴いて、その詩をお墓にお茶目な感覚で書くことにした気がする。故人との会えないのは寂しいけれど楽しい談話を想像する。
岡本太郎さんの墓は彫刻などあって見てみたいが遠いのであきらめて帰ることにした。
河津桜が満開だった。
miho