設計事務所 powerarchitects のブログ.
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母の命日が近かったので、多磨霊園にお参りに行くことにした。
多磨霊園には吉坂隆正さんの墓もあると、同級生の倉方俊輔君の本、東京建築ガイドマップに書いてあり、公園のようだと記してあるので、そこにも行ってみようと、前もって場所を調べることにした。
著名人の墓所がリストアップされているサイトがあって、つらつら他の人の名前も見ていたら、泉君の曾祖父の南原繁さんや、岡本太郎さんの名前もあった。
その日は爽やかで気持ちのいい日だった。入り口近くの古い趣きのある木造平屋建ての花屋は、いわゆる仏花ではない品揃えがとてもよかった。白いフリージアを買って、母と南原さんのお参りをしてから、吉坂隆正さんの墓に行ってみた。多磨霊園はたくさんの木が植わっていて、道も広く明るくてお墓という暗いイメージがなく気持ちがよい。

何人か座れるベンチがあった。納骨室もひとつのベンチに座っているかのようだ。一緒にお話しましょうという感じだろうと思う。


墓壁には、フランス語の詩があった。下のところにはモザイクタイルで花の画がかいてあった。
Le soleil a rendez-vous avec la lune
La lune est là
La lune est là
mais le soleil ne la voit pas
Pour la trouver il faut la nuit
となんとか読めた。
太陽は月と待ち合わせをした。
月はそこにいる
月はそこにいる
けれど、太陽は月が見えない
月を見るには夜でないと
という意味。(訳、私)
月は故人、太陽は生きている人を意味しているのだろうか。
家に帰って調べると、
Charles TrenetのLe Soleil et La Lune という楽しい歌の歌詞だとわかった。
建築の発想 吉坂隆正7の、154ページには寸法つきの平面図と断面図もあった。寸法はすべてモデュロールによる。詩はタゴールのものとあるがちょっと疑問。吉坂は50年から52年にコルビュジェのところに留学していて、この墓を設計したのが59年。39年に作詞作曲されたトレネのこの有名な曲を聴いて、その詩をお墓にお茶目な感覚で書くことにした気がする。故人との会えないのは寂しいけれど楽しい談話を想像する。
岡本太郎さんの墓は彫刻などあって見てみたいが遠いのであきらめて帰ることにした。

河津桜が満開だった。
miho
多磨霊園には吉坂隆正さんの墓もあると、同級生の倉方俊輔君の本、東京建築ガイドマップに書いてあり、公園のようだと記してあるので、そこにも行ってみようと、前もって場所を調べることにした。
著名人の墓所がリストアップされているサイトがあって、つらつら他の人の名前も見ていたら、泉君の曾祖父の南原繁さんや、岡本太郎さんの名前もあった。
その日は爽やかで気持ちのいい日だった。入り口近くの古い趣きのある木造平屋建ての花屋は、いわゆる仏花ではない品揃えがとてもよかった。白いフリージアを買って、母と南原さんのお参りをしてから、吉坂隆正さんの墓に行ってみた。多磨霊園はたくさんの木が植わっていて、道も広く明るくてお墓という暗いイメージがなく気持ちがよい。
何人か座れるベンチがあった。納骨室もひとつのベンチに座っているかのようだ。一緒にお話しましょうという感じだろうと思う。
墓壁には、フランス語の詩があった。下のところにはモザイクタイルで花の画がかいてあった。
Le soleil a rendez-vous avec la lune
La lune est là
La lune est là
mais le soleil ne la voit pas
Pour la trouver il faut la nuit
となんとか読めた。
太陽は月と待ち合わせをした。
月はそこにいる
月はそこにいる
けれど、太陽は月が見えない
月を見るには夜でないと
という意味。(訳、私)
月は故人、太陽は生きている人を意味しているのだろうか。
家に帰って調べると、
Charles TrenetのLe Soleil et La Lune という楽しい歌の歌詞だとわかった。
建築の発想 吉坂隆正7の、154ページには寸法つきの平面図と断面図もあった。寸法はすべてモデュロールによる。詩はタゴールのものとあるがちょっと疑問。吉坂は50年から52年にコルビュジェのところに留学していて、この墓を設計したのが59年。39年に作詞作曲されたトレネのこの有名な曲を聴いて、その詩をお墓にお茶目な感覚で書くことにした気がする。故人との会えないのは寂しいけれど楽しい談話を想像する。
岡本太郎さんの墓は彫刻などあって見てみたいが遠いのであきらめて帰ることにした。
河津桜が満開だった。
miho
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