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設計事務所 powerarchitects のブログ.
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駅を降りた時からその予感は始まっている.駅からの坂を左に折れると、捻れた屋根面とソーラーコレクターの角が尖塔のように坂の上に見えてくるのだが、建物の角にたどり着く頃には外観はすっかり趣を変え、アルミスパンドレル、FRPグレーチング、コンクリート擁壁のパッチワークが姿を現す.坂はやがて内部の螺旋へと接続される.とりあえず通り過ぎて坂を上り見下ろすと、南に正対した集熱パネルが建物に斜をなして乗っているのがひときわ目立つ.外観をみている時から私たちの意識はすでに内部にある.

外観からは坂そして方角が建物を支配しているかのように見える.坂の上であること、南が正対していないということも与件ではあるが絶対ではない.それらは在るものとして選択されたのであり、顕在化している形式、あるいは顕在化していないものも含めて精緻な秩序を構成する一部分でしかない.おなじ螺旋の形式をもつciccoでは、太陽は北側斜線によって視覚化されている.住宅と店鋪という構成は専用住宅のSAよりも幾分複雑であるが、地形と視覚化された太陽との関係は、ciccoが法のコードによっているのに対し、SAのそれは完全に機能牲である.しかしながら両者の扱いもまた、並列的で等価なのである.ドアを開けるとふわっとした暖かい空気に包まれ、まだ玄関からは見えないはずの、斜めの天井面を意識する.玄関からは左手の階段斜面を直線に上がりねじれ面に導かれるようにして半身を返すと、私たちはこのコレクターの真下に立つことになる.右手の階段斜面を下ると、キッチンやダイニング、畳の間のあるスペースに行き着く.

現象には興味がない、と坂本さんは言う.抽象的なまでに形式に還元され思考された住宅に光や音の空間を現象的に扱う美学は留保される.一見現象的にも思える住宅の第一の与件である熱環境は、ともすれば機能主義に陥りそうなOMシステムを螺旋やスキップフロア、2x材のシステム、黄金比などの形式と並列化することで、即物的な存在と化し、ともすれば大仰になりがちな、視覚化された形式を建築全体のよき調停者とならしめるのに成功している.内部の熱環境を平均化しているのだから、むしろ現象を消去しているといえる.

階下のー下りきった螺旋のエンドで軽食を戴いている時に、ふと氏がこの棚は黄金比なんだよ、と言う.黄金比と坂本氏は一見遠いようだが、寸法体系は空間の秩序をなすための調停手段として選択された形式そのものだ.形式化された等比数列は空間の匿名化を促し、夥しいコレクションや住み手の振る舞いから自由になる.空間がそうであるように、棚の寸法もまた有用性の側面からは決して語られることはないのは当然であった. 内部で途切れることのない床は全体を通していくつかのステップに分節され、階下では水回りや玄関が配置され、上階では3つの机がスキップごとに並んでいる.均等に見える中段2段のスキップは実は奥行きの寸法がまちまちであるし、外壁の開口と構造壁の位置とは無関係にスラブがある.それぞれはおなじように物品で埋もれて見にくくはなっているけれど、自ずと身体スケールレベルの差異が生じでいる.それがまた心地よい.

形式の調停者としての建築家を見るのは容易い.同時に住宅を見れば見るほど、住まい手としての建築家個人に相対する.自身を形式化しきることは不可能なのだとしても、住宅は秩序を乱す唯一の存在の住まい手を内包しつつ、住まい手に形式化をせまるだろう.私たちが訪問する前日、増大暴走する物たちに秩序を与えるために、奔走する夫妻を想像の中に見た.場所において個は自立している.ものやひとはここにあってもそこにあってもいい.あるいはここ、そこになくてはならない.従うべき秩序と構成はすでに用意されている.私たちはかつて雑誌や本で見聞きした写真を想起し、竣工当時の空っぽの状態と現在を比較する.誰もが驚きを持って目を奪われるコレクションは、構造の2X材が棚として転用され、入墨部に生じた隙間や屋根面と壁のであう三角形の残余も埋め尽くす.これらの物品は柱の隅や手の届かない棚の上などに埃がたまるようにして、並列化された地形に拡散していく.骨董、焼き物、民族衣装、あるいは稀少本、家具―ともすれば私たちは、物のプレゼンスの前に押し流されそうになってしまうが、眺めているうちにやがてこうした物たちの自由な振る舞いを可能にする曖昧な構造が、等価な形式の重ね合わせによって生成されているのが理解できた.それはある世界観の構築を目的にしては実現できない、ただ緩やかな均衡状態が可能にする自由さなのだった.

こんな住宅がいつかつくれたなと思う.

zmk

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House SA に私もお邪魔しました。
お昼過ぎに伺って1,2時間拝見できると思っていたら、奥様の美味しい手料理までご馳走になり、日が陰って明かりをともす夜景まで見させていただけました。
「そこも、つけて」と坂本さんの指さした先は、半透明のトイレのブースでした。つけてみると、とても素敵な照明に。いつもは居るところだけつけていらっしゃるという、アームライトもひとつひとつ全部つけて、ブラインドを下ろすと昼とは違った夜の景色に。
食後、坂本さんを囲んで皆さんが話し込んでいるときに、私を含めた女子3人は奥様にコレクションのアンティークの手織物を見せていただいたのですが、そのイメージとこの建物のイメージが私の中で妙に重なります。
この建物の感触は布にたとえるなら織物(テキスタイル=テキスト)なのです。他の建物の多くが、プリント生地に見えてしまします。私はその魅力に包み込ま れました。その織物は小さなパーツからつくられていて、どこでつないであるのかもわからないようにつないであるそうなのですが、この建物も、いろいろな外的 要素がどこからどこがどの理由なのか一見してはわからないけれどある規則に従って形を持ち、つなぎとめられて、結果としてひとつの、中にある物物や者者を大き く柔らかくつつむ作品になっているように感じられたのです。竣工から10年という年月が焼いた木の肌色や、建築家なら強調して見せたくなるようなキャンティレバーの段床にもかかわらずあえてそれらに無関心にも思える素振りでおかれた物入れが、余計にその境界を曖昧にし、心地よさを増しているようでした。そして、その物物とこの屋根、柱、さらに内部の道(床)とつながる外部の道、窓からテラス越しに見える景色が醸し出す現実感に、心地よさと同時に、これはいけない、家に帰って勉強しなきゃ!このテキストを理解したいという気持ちにさせられました。あれから、私はこの建物の経験を思い出しながら坂本さんや多木浩二さんの本を読み返しています。

miho

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